2020/11/28 13:48


私とアンティークの出会い


小さな小さな弊店のアンティーク

ジュエリーを気にかけて下さったて

いる皆様にいつも感謝の気持ちを

持って日々ジュエリーと向き合って

おります。

誠にありがとうございます。


さて、私とアンティークの出会いはかれこれ40年程前に遡ります。


私が小学生の頃、父がアルゼンチンのブエノスアイレスに転勤になり父は

6年間程滞在していたのですが、

アンティークショップが集まる場所には宮殿にあるような品々がお店のショーウィンドウに飾らせている様子は、南米のパリと言われていた事を納得する光景でした。


1889 年から 1930 年にかけて、アルゼンチンは、その働き口の多さと開放的な移民政策のおかげで、 ヨーロッパからの移民を受け入れ、米国に次いでユダヤ人移民の人気を集めたのです。

第二次世界大戦以後もアルゼンチンはユダヤ人難民を受け入れるとともに、ドイツの戦犯にも国境を 開放しました。


歴史って本当にスリリングですよね。


因みにブエノスアイレスはアンティークの最後の秘境と言っても過言ではない程に当時には見事なアンティークの品々が売買されていたのです。


そして父の6年間の滞在の間に両親はどっぷりと西洋骨董にハマってしまい、コレクターとなってしまいました。笑

家は次々と西洋骨董品に囲まれていき、子供ながらに、お城のようになっていく部屋を眺めて過ごしておりました。(まだ頭の中がメルヘンな子供だったのでそう感じたのです。)


そしてなんと両親に転機が訪れたのです。

父は私が高校生の頃に脱サラし、母と共に ガレリア アルタミラという

西洋骨董店を東京都三鷹市にオープンしたのです。

(因みに屋号のアルタミラとはスペイン北部にある旧石器時代の洞窟の事です。

学校の教科書で勉強しましたよね。ガレリアとはギャラリーを意味します。)


まだ私を養っていかなければならないのに、今から思うとなんとも大胆な行動だったと思います。

何せまだまだ日本ではアンティークは知名度の低い存在でしたからね。汗


さて、ガレリア アルタミラはどうなったでしょうか?


続きは次回に。


※ 写真は母が現役時代の頃のものです。


最後までお読み頂きありがとうございます。