2021/12/30 12:55
小さな小さな弊店のアンティーク
ジュエリーを気にかけて下さって
いる皆様にいつも感謝の気持ちを
持って日々ジュエリーと向き合って
おります。
誠にありがとうございます。
今年も残すところ今日を入れて2日となりましたね。
そんな矢先に再び15%off SALEとなり、忙しい中ではございますが、年内ラストチャンスですので、よろしければもう一度ネットストアをご覧頂ければと存じます。
さて今日はジュエリーのお話ではなく、私が好きな楽器でもあるチェンバロの宮廷音楽に関するプチプチプチトーク、つまり雑談ですので、ご了承下さいませ。(・・;)
絵画によく描かれている楽器でもあるチェンバロ。
私の友人はチェンバロを弾けないのですがあまりの美しさに惹かれてチェンバロをオーダーメイドで注文。
羨ましい〜(≧∀≦)
それがこちらの写真です。
ヨーロッパらしい風景画が描かれ、中には花々が描かれています。
それはそれはうっとり(#^.^#)
コロナの前はチェンバロ奏者を別荘にお招きして、リサイクルを開いておりました。
チェンバロはその見た目の美しさ、そして奏でる音色の美しさから、私も大好きな楽器の一つです。
私のサロンにご来店のお客様はご存じと思いますが、BGMには時よりバッハのチェンバロ名曲を流している事もございます。
ところでチェンバロの起源は諸説あるようですが、15世紀頃に遡るそうですよ。
チェンバロはルネサンス音楽やバロック音楽でよく耳にすると思いますが、
数々の宮廷で演奏されてきたチェンバロは18世紀半ば頃より、その地位を徐々にピアノに奪われるようになり、伝統的なチェンバロ製作の技術は次第に失われ、古いチェンバロは捨てられてしまった為今に残る物が少ないのです。
なんてもったいない!!(涙)
パリの音楽院では暖炉の薪にして使われたとか、、、。(;o;)
そしてついに19世紀にはいわば過去の遺物と化していしまったのでした。
チェンバロは主に宮廷音楽で使われてきた楽器だと思いますが、そもそも宮廷音楽っていつ頃盛んになったのでしょう。
ヨーロッパでは、古くから教会への捧げものとして音楽が存在しました。教会に仕える作曲家は、聖書をモチーフに宗教的な曲を作り演奏したのですが、あの有名なバッハはライプツィヒ・聖トーマス教会の音楽監督時代、毎週のように教会カンタータを作曲していたそうです。
毎週作曲?!信じられないですよね。(⌒-⌒; )
16世紀ごろ、かつて強大な権力を持っていた教会も弱体化していく中で王朝が絶対的な権力を得ることに成功した
いわゆる「絶対王政」の時代がやってきました。
そして世の中はガラリと変わり、王様が世の中を支配する時代になったのです。
この絶対王政をいち早く樹立したフランスは、王の力を誇示するためヴェルサイユ宮殿をはじめとする豪華絢爛な建物や様式をつくりあげたのでした。
そこで誕生したのが宮廷音楽だったのです。
今までの教会の神に捧げる音楽から宮廷での冠婚葬祭にその場を盛り上げる音楽が誕生したのです。
つまりは宮廷が音楽の発展に欠かせない重要な場となったのですね。
そこに雇われた作曲家たちは雇用主である王侯貴族の要望に合わせた音楽を作る日々を送りました。
晩餐でのBGM的音楽など、そのイベントごとに作られた曲はその場を盛り上げる役割を担ったのですね。
作曲家や演奏家も王侯貴族に認められるために音楽を研究し、演奏したのです。王侯貴族に気に入られれば宮廷専属のミュージシャンとして暮らしに困る事はなく豊かに暮らす事が出来たからです。
この時代は、王侯貴族によって音楽の発展や進化が支えられたと言っても過言ではないですね。
ミュージシャンは一見束縛された環境にありましたが、宮廷の中で王侯貴族が音楽を愛し、作曲家への金銭的支援に理解があったからこそ、その華やかな文化は途切れることなく美しい音楽が生まれ、そして、芸術文化の発展において無くてはならない、大切な存在だったのです。
そんな事を考えながらチェンバロに耳を傾けみてもいいかもしれないですね。
いつも通りまとまりのない締めくくりとなりますが、最後まで読んで頂きありがとうございました。m(_ _)m